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2017年12月

2017年12月31日 (日)

妻を亡くして

間もなく2017年も終わろうとしている。

2017921日、妻との突然の別れがこようとは、

こんなことが1年締めくくりのトピックとなる私に、どんな新たな1年が来るのか。

来る年に何の期待もないままこれまで滞っていた日記に思いを綴ろう。

 

妻は前日まで元気はなかったが死を想像するような状態ではなかった。

 

当日の朝、遺漏による栄養注入の後、補給したものが気管に逆流した窒息死だった。

 

どんなに苦しかったことか。家族に看取られることもない最期がどんなに寂しいいもので、どんなに残念なことでであったか。

 

これまでの人生に合わせて看取ることができなかったことの申し訳ない気持ちと後悔の思いが苦しい。

 

別れの言葉を交わせないまま妻に逝かれ、悲しみとともに割り切れないような物足りないような、未練がましい気持ちを持て余しているような自分に戸惑う。

 

別れの時は心のどこかで、「ありがとう」「さようなら」と互いの思いを伝えあってから、す~っと目を閉じていくような最期を望んでいた。

死ぬときの別れとはそういったものと考えていたが現実は息を引き取る瞬間に立ち会えることができなかった。

 

自分だけが一方的に「ありがとう」「これまですまなかった」と繰り返すばかりで、妻からは何も返ってこないまま迎えなければならなかった最期に妻の死に対して罪を背負ったような後悔の思いがいつまでも消えない。

 

母の死にも同じような気持ちがいつまでも心の内から消せることができない。

 

今日は昨日年末の掃除は子供たちと済ませていたので朝から墓参りに出かけた。

 

雪の残ったお墓の前で手を合わせて

 

「信子お墓参りに来たよ。寒くないか?寂しくないか?苦しみも、病気もない楽園にいますか?」

 

この場所に来れば会え。話しかけることができる。

 

心の中で妻に向かって、死者の存在を意識することなく無意識のうちに語り掛ける。

 

いくら呼びかけても、いくら語り掛けても亡くなった妻は答えてくれない。

 

空しい。

 

ぎこちない空しさも薄らぎ自然に何気ない気持ちで墓石に話しかけることができる日が来るのだろうか。

 

9年間もの長い間苦しい思いをさせてすまなかった。

 

美味しいものを食べてとき・・・ 

きれいな景色を見たとき・・・・ 

他人の夫婦が買い物をしているとき・・・・

あの時、どうして言ってあげられなかったのか・・・

 

これまで家族に尽くしてくれてありがとう。

 

 

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