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2016年1月 1日 (金)

正月の思い出

正月、

いつものように8時起床。

朝から日が差し青空が広がっている。

静か、穏やかな朝だ。

昨日の朝と変わりない一日だが今日は昨日の朝とは違う。

近くの八幡神社にお参りに行った。

傍らの公園の桜に花が幾つか咲いていた。

冬の日だまりの場所での狂い咲きのようだ。

寒い中にも春の予兆を感じた。

孫をつれた家族が寒い中で、お参りしながら楽しそうに談笑していた。

妻のいない正月も8度目を迎えた。

さみしい正月だがその寂しさも慣れてしまった。

新しい年に期待感は何もないが人生の来し方に思いを馳せた。
あの子供達の年齢の頃、私はあかぎれの手をポケットに突っ込んで、ピューピューと吹き抜ける北風の音を聞いていた。

モズがキキキーと啼く声を聞いた。

落ち葉を焚いたりしたこともあった。

それは遠い昔のこと、随分と長い時間が過ぎ去ってしまった。

振り返ると、悲しかったことでさえ今は懐かしさや感傷的な思いでいっぱいになる。

朝日がまぶしい。これからの人生は神様の思し召し。
 

正月の思い出。

寒い朝、外はまだうす暗かった。祖父が部屋に入ってきて、「早く起きなさい」と言った。

祖父は裏の井戸を汲み取り、その水をまず神棚にお捧げし、東の方に昇る初日に向かって手を合わせた。
祖母は、若水で湯を沸かしお茶を入れ雑煮を作った。

元旦の一番に飲むお茶の中には必ず梅干しが入れてあった。

お節料理も当時は全部祖母や母の手作りだった。

雑煮は田舎風の煮込み雑煮で、大根,人参、ほうれん草などの野菜と、スルメと昆布と椎茸が入っていた。

暮れには隣の家と一緒に餅つきをした。

大きな羽釜が庭に出され、釜に置いた大きなセイロからは白い蒸気が吹きあがっていた。

今は鬼籍の人となった叔父たちが掛け声とともに餅をつく。

つき上がった餅をあんこ餅や醤油餅を食べさせてもらえるのが嬉しかった。

正月の朝は、起きると枕元に新しい正月着、駒、足袋などが置いてあった。

暮れに用意してくれたものだ。

その年、私には新しいセーターと足袋が置いてあった。

紺色のセーターで母が手編みしてくれたものだ。

後々まで私のお気に入りのセーターだった。

何年か経った頃、そのセーターは靴下に編みなおされた。

それを着て外に出た。

当時の子供たちは家の中で遊ぶことはなかった。

お年玉を自慢しあった。

正月松の内が明けると町内では伝統的な行事があった。

しめ縄、お飾り、鏡餅、書初めなどを集めて神の前で燃やすドンドヤキだ。

孟宗竹を中心に立て、その周りに藁や竹を莚で包んだものを立て掛けて櫓の様なものを作った。

この中に正月の飾り等を入れて燃した。

この煙にあたると風をひかないと近所のおばあさんが教えてくれた。

正月にまつわる思い出は尽きない。

今、振り返って感じることは昔の人達は正月の行事や習慣を非常に大切にしていた事である。

1年が去ればまた新しい年が来る。

終わりなき世の目出度さを、身と心を清めて年の神に感謝し、皆で厳かに祝い合う・・・・

昔の正月にはうやうやしさの原風景を見る思いがする。

今年の自分へのお年玉は。世に一番出ているプリウスに変えディーゼル車、CX3にした。

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