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2012年7月 3日 (火)

人間の尊厳と延命治療

2~3週間くらい前から食事を拒否?
呑み込みができないのか気が付けば口の中にほおばっている日が続いた。
医師から「胃瘻」の設置を進められそれを承諾したが、

周りの胃瘻をした入院患者の様子を見ると人間の尊厳を感じることができない。

意識のないまま一日を生かされ過ごす毎日、本人の意思に関係なく。

食は生きていくうえで大変重要な行為。

生きるために栄養を補給するのではなく生きる楽しみとしても食事はあると考えるから。

NHKクローズアップ現代 「人生の最期 どう迎える?~岐路に立つ延命医療」を観た。

 延命治療、中でも特に胃瘻にスポットライトが当てられていた。

必要な栄養補給を胃に穴を明けて送り込むもので、そのことによる延命効果は非常に高い。

しかし考えなくてならないのは「胃ろう」は始めた以上、それをやめるということは本人の「死」につながる。といいうこと。

そして、多くの場合その時に本人は意思表示が出来ない状態にあるだろう。

今回は「胃ろうをする」判断で少しでも妻の入院生活を楽にしてやりたいとの思いから、つける判断をしたがいつの日か「胃瘻やめる」決断をせまられることを考えると、それで良かったのかと迷う。

それは「生きてもらう」判断と「死なせてしまう」決と言っても過言ではない。

発症以来間もなく4年がくる。
妻にはこれまでよく病気と闘ってくれたと心では感謝している。


が、

しかし、人生は本人のもの

延命治療について、あるいは胃瘻について、妻は望んでいたんだろうか?


先生の説明時、何かを訴えようとして話しかけてきたのはおそらく手術を頑張ると訴えていたものと信じている。

つける判断を選択したのは自分。

これからはどんなにつらくともすべての延命行為を受け入れいていく責任を負ったことになる。


そして自分の考えを子どもに十分に伝えて、書き残しておくことが大事だと感じた。

とりあえず手術は5時間余りもかかって無事終わった。

妻にはまたこれから病気と闘ってもらわなければならない。

それが正しい選択であると信じて。

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