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2008年12月

2008年12月30日 (火)

今年最後のラウンド

早いもので、
今シーズンのゴルフも今日のラウンドで終了した。
今シーズン当初に立てた目標、「ボギー以上を出さない。85平均」も大きくはずれた。

スポーツクラブでの体力つくり。
練習場通い。
月平均3~4回のラウンド。
85平均はおろか、100を超えることもしばしば

はぁ~~~~。

一体、俺は何をやってきたんだ?

自由になる時間を、すべてゴルフに注ぎ、
自由にならないお金をゴルフにつぎ込み、
生活の全てをゴルフに捧げてきたハズなのに・・・。

それが、もう、終わってしまう。

どうも「終わり」という言葉を聞くと、
つい、感傷的になってしまう。

「終わり」って、言葉がいけない。

表現を替えて、これで「全てが始まる」と考えてみたどうだろうか?
「終わりじゃない、スタートなんだ!」

「 ♪ もぅ、終わ~りーだね・・・。
  さよなら。さよなら。さよなら~ぁぁ。 ♪ 」


来年こそ、目標達成だーーーーーーー

12月の結果
課題=
アイアンの引っ掛けをなくす

12月14日 岡山国際GC 月例
42、47=89
12月27日 岡山国際GC 年忘れ
44、46=90
12月29日 長船GC(PAR/70)

35、40=75
12月30日 山陽GC
45、46=91

ゆっくりと大きく肩をいれること。
左手の3本の指を緩めない。
テークバックはヘッドの軌道よりもグリップの通過するところを意識する。
トップからの切り返しは左腰を回転させる。

4回のラウンドで左腰の回転で打てたときはまっすぐな球筋を出すことができた。

長船ではスリーバーディー6ボギー、ワンダボ。
150~160ヤードが良かった。
10センチのOKバーディーあり2メートル強のラインを読みきること4~5回あり。
課題のインパクトでの力みをなくすことを意識したのが良かった。

ラウンド中の出来事、後日まとめたい。

マークを拾われマークのしかたが悪いとしかられた。
拾ったひとは?

不愉快なパートナーで面白くなかった。
こんな人とは二度と回りたくない。

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V-Pシャント手術

12月27日
スパイナルドレナージに骨髄もれがあり、感染のリスクが高くなり抜管した。
意識レベルがよくなっていたのだが、また意識が悪くなるかも知れない。
呼吸器を外したことで少し息が苦しそうだ。

今日で発病後1ケ月が経過。
痙攣は脳の抑制管理の効果で以後押さえられているので今のところ安心していいと思われる。

12月28日
やはり、意識レベルが下がってきた。
眠ることが多く、話かけると目を開けるがあまり話したがらない。

ドレナージの効果は明らかで今後、体力の回復を見ながら水頭症の手術(V-Pシャント)を実施したいとの説明があった。


12月29日
意識レベルがかなり悪い。
呼吸も苦しく、過呼吸を繰り返している。
手術について説明してやると「がんばる」と応える。
まだ、脳に大きな影響はないようだ。

12月30日
夕方見舞いに行くとテレビを見ていた。
頭がぼーっとするらしく、すぐに目をつぶる。
呼吸はしっかりしてきている。
ときどきゆっくりとした大きな呼吸をする。
医師から「今晩は呼吸器を使用しないで様子を見ようと思います」との方針を示された。

病状の回復が見られなく病気のことが心配のようだ。

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2008年12月26日 (金)

禍福は糾える縄の如し

昨日はベッド上に座り、リハビリで元気がでていたのに・・・・・・・・
今日の見舞いでは一転して「私が亡くなったら・・・・・に知らせてください」とボードに書く。

今日は呼吸器から離脱し酸素吸入器に変えていた。
それ自体は様態がよくなった証なのだが、本人にとっては自力呼吸で息苦しいようだ。

確実に、正確に息の音がしている。
病状は少しずつだが快方に向かっている。
長期の闘病が少しストレスになっているようだ。

妻にとって、今が人生で一番辛く苦しい時期ならば、これからそのどん底から這い上がってゆくしかない。

悲しい時こそ楽しい事を!
嬉しい時こそ哀しい事を!
そうして人はこころのバランスを保ち続けながら、生きてゆくしかない。
絶望という暗闇に支配されようとも。
人があきらめない限り光を失うことはない

闘病中の妻に願いたい。
やがて春はきっとやって来ると信じる心を失わないように・・・・・・。

「悲しみ、心配」こんなものは何の役にもたたない。

ただ、医師を信じて・・・・・・・

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2008年12月25日 (木)

リハビリの開始

12月22日スパイナルドレナージを入れてから4日が経過した。
脳圧が下がったせいか脳の働きは良いようだ。
目の動き顔の表情がよくなった。
いつまで管を留置するのか疑問がある。
1日の排出量のデーターを観察しているようだ。

残念ながら頻呼吸は収まらず、時々苦しいようだ。
やはり、1ヶ月あまり寝たままで肺を圧迫していることも一因のようだ。

夕方、理学療法士の先生がHCUに訪問してリハビリをしてくれた。

ベッド上に座るだけだが、その姿を見て少しずつ快方に向かっているのだな~と少し安心した。 
理学士は肺のストレッチをしてくれ1000ccくらいの自呼吸があった。
よくなっていっていますよ。と励ましてくれた。

今日は、ボードに「家にはいつ帰れるか」と書くことができた。

いままでは、ただ線を描くだけであったので字を理解しているのだろうかと疑問を持っていたが、子供のことも尋ね元気の様子を教えると笑顔を見せた。

脳には障害がないようだ。

痙攣重積はおさまっているようだが、原因を排除したわけではないので多少の不安がある。

本人にも現在の病状を説明してやると納得する。
ストレスがたまっていると、初めて弱気の発言。
心配して良くなる訳ではないので心配しないように考えたところで不安をつのるだけだから何も考えないでテレビでも見るようにと励ます。

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2008年12月23日 (火)

脊髄液の抜き取り

MRIでの診断結果ではかなりの量が脳内に滞留している。
これが脳圧を上げ頻呼吸の原因になっていることが考えられる。

水頭症はここ
脳脊髄液の成人の全量は、約150mlである。
毎分の生産量は、約0.3 ~ 0.4mlであり、1日の生産量は500ml~600mlと測定されている。
脳脊髄液は、毎分、全体量の0.25%を新鮮なものと置換5~7時間で全体の髄液が交換されることになる。
1日3~4回の全体量の置換がある。


昨日は、たまった髄液を抜くために脊髄に針を留置する処置を行なった。

医師の説明を聞き、また一つ体を縛るものが増えるのかと考えたら我が身に置き換え頭が真っ白になり混乱した。
最悪のことが頭を駆け巡りパニックになりそう・・・・・・・
患者よりこちらの方が早くまいりそうだ。


普段は信仰を持たないが、心の内で神を、仏を、先祖を祈る。

「考えまい」
「考えまい」
「考えまい」
とするのだが、不幸な思いが頭の中を駆け巡る・・・・・・・・

苦しい、


夕方、見舞いに行くといつもより明るい顔で迎えてくれた。
ベッドには抜かれた髄液がベッドの高さに保たれ取り付けられている。
針の位置が重要であるらしい。

看護師の説明では約300mlの髄液が圧が高いため一気に排出された。
普通は3cc程度らしいがその100倍もの髄液が脳を圧迫していたことになる。

これだけの髄液が圧迫していたものを取ったのだから頭が軽くなっただろうと聞くと笑顔でうなずく。

この笑顔をみて安心した。

12月23日
夕方見舞いに

昨日と変化はない。
髄液を抜いたが頻呼吸は変わらない。
この処置(脊髄麻酔)は1週間くらいは危険が伴うらしい。
高熱・頭痛

そんな兆候は認められず。脳は、はっきりしているらしく。
いろいろなことを話す。
医師に委ね原因を追究していただこう。

本人も納得。がんばると応える。

  

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2008年12月21日 (日)

スパイナルドレナージ

12月21日

大部屋のベッド数にすれば50人くらいの患者が入院できそうな部屋に、わずか10人(?)の人がこん睡状態で高度医療を受けている。
それぞれの患者のベッドの前にはパソコンが備えられ常に看護師さんが操作している。
その他に医師と思しき人が4~5人が待機して病原を追求し治療法を模索している。・・・・
10人に対し医療スタッフは20人くらいはいるだろうか?
そして殆どの患者は3~4日で一般病棟に転移しているのに・・・・

妻がHCUに入院して早や(?)3週間を経過した。

今日も呼吸が苦しそうだ。
痙攣重積状態が治まり希望がもてたのだが、・・・・・

時々、むせるような、頻呼吸でなななか人口呼吸器から離脱ができない。

医師から「原因が解らないが、水頭圧が高いせいではないか?」との説明を受ける。

効果はやって見なければ解らないがスパイナルドレナージをいれます。
(水頭症を防ぐために脊髄より脳脊髄液を排出するために挿入される細い管)

○ 髄膜炎などのリスク(感染症)
○ 脊髄内へ管を留置

そうとう痛そう・・・・・・
管を抜いたりしなければ良いのだが?

かわいそう。
人はなぜ生きているのだろうか。
こんなに苦しい思いをしてまで生きてゆかねばならないのか。
死ぬほどの苦しみの中にある人に死んではいけないとは言えない。
やはり、安らかな死を迎えるために生きているのだろうか。

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2008年12月20日 (土)

人生の節目・・・・・新HD

激動の一年が終わろうとしている。
良くも悪くも大変な一年が・・・・・。

人生には節目になる年が何回かある。
振り返って、そう思ってきた。
その間に、人生を決める選択を何度か経験した。

もし、その分岐点で違った選択をしていたら、おそらく、違った人生があったことだろう。

ようやく、人生の何たるかが多少分かった気がする。
もう、やり直す余裕はない。
時間が足りないから・・・・・

人生もゴルフもあるがまま・・・・・・


12月18日
3週間ぶりにジムに行く。
エアロバイク、ウオーキング、腹筋等々・・・・・・・
いつものメニューで約1時間。

その後ゴルフレンジで、これも3週間ぶりにクラブを握る。
宮里愛の練習を取り入れ2分間で1スイングを試してみる。
容にこだわっているような気がするが?これが難しい。
どうしてもインパクト直前が速くなる・・・・。
トップからの切り替えしには間が保て良いぞ。

今後、実際に打つ前に取り入れ、ゆっくりリズムを身につけよう。

野球の硬式バットスイングを約50回・・・・・・
キツイ、この練習でボールを飛ばすための筋肉ができるとか?

低反発にしてから、距離が落ちた。
がんばろう、後20ヤードの飛距離が欲しいから。

今日は体中が痛くて時々足がつる・・・・・・
股関節、肩関節、腹筋、両肘と筋肉・・・・・

所属クラブからJGA公認ハンディキャップの通知が郵送された。

夏、7月に11から15に転落A入り(14から)を目指したが残念ながら14.1
A組には、0.1足らず。
このHDではBでは優勝するには厳しい。
14であればA組で可能性があるのだが?

ま、しかたがない。クラブ競技の参加資格はできたので。
がんばろう・・・・・・

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2008年12月18日 (木)

つらくても我慢をすればきっときますよ春の日が

12月15日
呼吸器を挿管した気管切開の傷口が痛々しい。
口を動かし何かを訴えるのだが理解できない。
頭痛はないか?
痛いところはないか?
脳抑制解除(意識回復後)初めて「大丈夫」と口を動かす。
心配しないでしっかり療養するように話しかけるとうなずく。
足首が動かせるようになる。

12月16日
だいぶ加減がいいようだ。
面会に行くと笑顔で迎えてくれた。
夫であることが解るようだ。
重積痙攣による脳障害の程度はまだ充分解らないが自分の現在の居場所は理解しているようで、市民病院に転院したいと訴える。

12月17日
「家に帰りたい」と訴える。
寝返りも、話すことも、つばを飲み込むことも、食べ物さえ口にできていないのに。
手を縛られ、静脈、動脈、気道、血圧、脳波、酸素など非常時に備え、まだ生かされている状態なのに。

やはり我が家に帰りたいのかと思うと可愛そうになる。
意識が正常に回復し発作が再発しなければいいのだが。

12月18日
夕食後、子供二人を連れ面会に行く。
ベッドを起こして、歯磨きをしている。
まだ手が自由に動かせなく上手く歯ブラシが歯にそわない。
これから少しずつ小さな動きからリハビリを続けることになるようだ。
口を動かし話しかけてくるのだが、なかなか解読できない。
なんとか理解し「冷たいコーヒーが飲みたいのか」と問うと笑顔を見せた。

まだ、飲み込むことができないので無理だ。がんばってリハビリをしようと励ます。
首を縦にふり納得。
グー、チョキ、パー。グー、チョキ、パー。
手を握ると力強く握り返す。
ほめてやると得意げな笑顔?

本当に回復してくれ家に帰ることができるのだろうか?


このままでは正月には帰ることはできないだろう。

これほど寂しい思いをしたのは生涯初めてのことだ。

死ぬかも知れない人を見ているのは辛い。
こんななら、ある日突然逝ってしまうほうーがずっとらくだ。

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2008年12月12日 (金)

秋の夕日

12月11日、秋の夕日
昨日は心が洗われるようなきれいな夕日が西の空を染めていた。
刻々と変化していく夕焼けの風景には心が奪われる。
秋のたそがれのもの悲しさ、妙な喪失感、これが秋の落日にはある。
反対の東の空には大きな満月がまだ日が落ちぬ間にその姿を見せていた。
Photo

妻の意識が低下してから早や2週間。
鎮静剤の効果で今は痙攣がおさまり病状が安定している。
心配した気管切開にも大きなパニックもなく病気と戦っている。
その体は多くのホースと電極につながれ高度の医療で管理されたままだ。

まだ自分での呼吸が充分でなく人工呼吸器は外せないでいる。
鼻から管を通して栄養の補給がされ徐々にではあるが体力が回復傾向にある?
後遺症が心配だが、こちらからの話しかけにはうなづき応えてくれる。

声を出そうとしているようだが声にならない。


12月12日、十六夜の月が明るく神々しく輝き町を照らしている。
いざよい(ためらい)ながらのぼってくるように見えるので、「じゅうろく」と書いて「いざよい」と名付けられた。

今日は2週間ぶりに練習に行った。

イメージどおりのスイングができない。

腰の回転を忘れるな


一寸の光陰軽んずべからず???????

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2008年12月10日 (水)

脳抑制解除

12月9日 一日中小雨。

意識レベルが低下して11日になる。
もうこのまま意識を取り戻すことがないのではないかなど考えると、真っ暗闇に落ち込んだような混乱。
1500時、今後のトラブルに備え気管切開手術を行い鎮静剤による脳の抑制処置を中止。

1900時、面会が許され目を開いた妻を見るのは4日ぶり。
呼びかけに目を開き、声が出せないことを教えると僅かにうなづく。
(意識、脳の障害はないようだ。)僅かに安心感を覚える。
医師の説明では「脳の痙攣は止まっているがアルブミンが減少しているため浸透圧の低下による合併症の起こることに注意が必要(腹水、胸水)」とのこと。
なかなか、安心する言葉を聞かせてもらえない。

12月10日 晴れ、11月中旬を思わせる暖かい1日。
Photo 近所の八幡様の桜も今はすっかり葉を落とし冬枯れの景観へと変わった。
この晩秋から冬へと移り変わっていく様は、植物の秘めた力と、冬の向こうにある芽吹きの季節の確かさを感じさせくれる。
葉がすっかり落ちてから枝の合間合間にはもうつぼみが見える。
夏のうちから、もう来年の春を彩る準備をしているのだ。
このつぼみたちが秋霜、厳冬を乗り越えて春に可憐な花を咲かせてくれるのだ。
そこまで来ている冬を教えるように吹く冷たい北風と、晩秋の物悲しさが漂う中、しばし感傷に浸る。 

痙攣は治まっているが、意識レベルはまだ低い。
手足に力が入らない。
こちらの呼びかけに僅かにうなづくが本当にわかっているのだろうか。
なんとなく後遺症は無いようだが。
これからどんな処置がされるのだろうか。
とりあえず、アルブミンが増え体力がつかないことには・・・・・・

水頭症・・・
過去の障害
ウイルス感染症



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2008年12月 8日 (月)

人事を尽くして天命を待つ

初冬を向かえ寒い日が続く12月8日。
Photo_3   近所の古い農家の庭に立派な山茶花の樹を見つけた。
今が盛りで、夕日に映えて鮮やかな紅が純な色をかもしだしている。
この色は小学生の頃 図画の時間にしぼり出したあの絵の具の色だ!

あの頃も紅い山茶花が咲いていたそれはもっと大きく もっと太くもっと紅く もっと深い色だった。

妻は、今日も鎮静剤で脳の活動を抑制され人工呼吸器で管理されたままだ。

動脈にはカテーテルが挿入され脳と肺には数本のコードとホースがノートパソコンに接続され計測器は無機質な音をたて穏やかな折れ線グラフと安定した血圧が表示されている。

看護師は何を入力しているのかいつもキーボードを叩いている。
その横には数値とグラフを印字したペーパーが何百枚も山積みされている。

呼吸管理を気管内挿管の状態で続けることは胸水、潰瘍などの障害が起こりやすいということで気管切開手術を行った。
肺炎、誤飲の危険性がなくなるが声が出せないので意思の疎通が困難になる。
意識を戻したとき、声が出せないことでパニックを起こさなければいいのだが、妻の精神力の強さに期待したい。

抑制を解除したときも穏やかな脳波を維持し痙攣重積が止まればいいのだが?

妻の闘病を見ているとこちらの脳がパニックをおこしそうになる。
この気持ちは多分親兄弟でも分かってくれる人は少ないと思う。
妻だからこその悲しみ・・・・
この喪失感は、人それぞれかも知れないが、自分と同じ悲しみを持っていない人には理解してもらえることはないだろうと思う。それだけでも辛い。
答えの返ってこないブログに、自分の気持ち、病状を綴ることでショートしそうな脳を落ち着かせることにしよう。
なにかしていなければ不安がつのるので・・・・・・

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2008年12月 6日 (土)

破局

12月6日 時々雪花の舞う寒い1日。

今も、妻は人工呼吸器で生かされ病床で突然の病魔と闘っている。

1900、
担当医師から電話。

説明事項がるので明日正午来院していただきたい。


・・・・・・・・・・・




外は寒い風が吹きぬけ、ざわめく木々の言葉が破局の近いことを告げて行く。
この風は来年も、再来年も吹くであろうが、それは。今年の風ではない。

そして吹き去った風は永久に還らない。

諸行無常の風が、私の魂を叩きつける。

此の身にどこまで、いつまで、風は吹き荒ぶのか。

その風がどんなに冷たくとも私は生きねばならぬ、私が生き、子供達が生きている限り、妻は、母は、その心の中に生きているのだ。

負けないで生き続けねばならぬ、思い出を消し去らぬ為に、そして息子たちよ、生き継ぐ限り母を忘れるな。
 数々の思い出を胸に、それを糧に力強く生きて行け、お前たちが生きて行く限り、
母も、その心の中に生きて行くのだ。

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2008年12月 5日 (金)

覚悟

12月4日主治医から電話。
「病状が好転しない。高度医療を受けるため大学病院に転院させたい。」

最悪の状態で死亡に至る症例の持続時間は13時間。
早急に痙攣をとめなくてはならない。

午後3時ころ大学病院に転院する。

状態の説明を受ける。
「痙攣重積状態」
「意識レベルの低下」
「肺炎」
「脳波異常」
「水頭症」

重積状態を抑えるための薬を点滴する。

12月5日、正午ころ大学病院主治医から電話。

いろいろの薬を使用したが効果がでない。

全身麻酔で一時脳の動きを抑制し脳波を正常にもどす処置をしたい。
呼吸が停止するので人工呼吸となる。
これで痙攣が治まるかどうかは不明でやってみないとわからない。
この治療は始めると途中で中止することはできない。
1週間くらいは継続して行なうので話すことはできない。
不足の事態もありうる。(胃潰瘍による出血が止まらない、麻酔の障害など)


覚悟はしておいてもらいたい。

説明を聞き動悸と頭の混乱を自覚する。
どうして・・・・・・・・・・

落ち着け。落ち着け。落ち着け。(深呼吸)
1週間、悶々として待つのか。絶えられるか・・・・・・・・
これは治療だ。
1週間後は痙攣も治まり話せるようになる。



病魔ほど不条理なことはない。
どんなに自由を叫び、平等を叫んでも、この不合理だけは癒しがたい。

この世に神様がいれば・・・・・・・
信じて待とう。信じるしかない。

神様はどうしてこの世を不平等にしたのですか。

ボーットしていても辛いので、何かをしていたいということで病状を記した。

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2008年12月 3日 (水)

災いは忘れた頃にやってくる

11月28日午前3時、隣りのベッドで寝ていた妻が「お父さん起こして」と助けを求める声! 見るとベッドの側に転倒している。
どうやら自身の力で起き上がれないらしい。
起こしてベッドに座らせるも「ぼ~っと」している。
寝るように促すと「そうだね、寝ないといけないね」と応える。
やがて起床時間になり、具合を聞いたところ、震え、頭痛と嘔吐を訴えたが寝ているようにと言って出勤した。
午前11時頃、義姉から妻の「様子がおかしいので救急車で病院に行く」との連絡があり入院。

午後勤務を終え病院に立ち寄る。

眠そうにして、時々目を開けるがあまり反応がない。
声をかけコーヒーを薦める。
かすかな声で「暖かいコーヒーが飲みたい」と要求するので、頭を起こし少量を口に含ます。

僅かに熱があるが、頭痛、吐き気はないかと問いかけるとうなずく。

28日1900:担当医師の説明
MRI撮影の結果では腫瘍、動脈瘤、血栓、脳内出血は認められない。

考えられることは、
水頭症(脳内に水がまっている)
「ウイルスが脳に感染」(脳に斑点が広がっている)
血液の抗体が弱い(白血病)ことから何らかのウイルスが脳に入ったのではないか。
血小板減少が見られることから、水頭症の手術は簡単な手術だが、出血の問題があり一命の心配がある。

抗菌剤を点滴。

29日
脊髄液、脳波、血液検査の結果問題は認められない。

動かなかった手・足に力が入るようになり抗菌剤が効いたのではないか?
話すことはできるが内容が時期をえていない。

30日
呼吸が苦しそう。
自分でたんをきることができず、口内にためたつばも飲み込めない。
話しかけに応えてくれない。

1日
盛んに相撲(白鳳)のことをうわごとのようにしゃべる。
「さすがだな~。立派な横綱になり風格がでてきた」など言語がはっきりしてきた。
寝返りが僅かだができるようになる。

2日1900
昏睡状態で呼吸が苦しそう。
呼びかけにも応えない。

3日1700
一段と呼吸が苦しそう。
意識はありこちらからの呼びかけも解るものの声が出せない。
名前を聞くと僅かに聞き取れる声で応える。
ベッドを起こすと起こしたことに拒否反応を示したのでもとに戻す。

医師は、病状が改善されない。
原因不明で処置の施しようがない。
悪いところがあれば手術で取り除くこともできるが・・・・・・・・

若い頃から難病(血小板減少、白血病、骨粗しょう症)との闘病人生であまり楽しい思い出を残してやれなかったことを後悔する。
もう~このまま元気になることはないのか?
そんな考えは不謹慎だろうか?
苦しそうな妻の姿を見ていると何のために生きているのかと可愛そうになる。

妻の入院で生活に不便と何も解らないことで将来の不安を感じる。
生きていてくれるだけで良いなんとか・・・・

喜びも楽しみも感じないで苦しい痛みとだけの闘病を強いることを要求することはできない。
これまで、悪いからだで家族のために一生懸命がんばってくれたのだから。
「がんばれ」とはいえない。
不自由な体でも」いい、喜び、楽しみが解る体であればこれまでの苦労に報いてあげたい。
つらいことだけの人生で終わらせたくない。
もしものことがあれば、・・・

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