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2007年12月

2007年12月31日 (月)

自らの「煩悩」を断ち切ることが、「悟り」へ近づく道だ

12月30日、今年1年のゴルフを総括するサークルコンペに参加した。
題して「除夜の鐘コンペ」
今年1年を振り返り煩悩を断ち切ろうというものだ。
除夜の鐘は百八つ、煩悩の数だと言われている。
しかし人間の煩悩はそんなもので足りるのだろうか。
私の煩悩はそんなものではおそらく足りない。

語り合うも良し、思いのたけを語るも良し、谷底に沈む今だ成仏できないでいるボールに祈るもよし、とにかく参加者みんなで煩悩を打ち払う鐘を鳴らそう。
ゴルフ場にたつと感じることがある。
やっぱり、ゴルフ場のランドスケープはよくできている。
一見普通に見える景色でも、打ってみるとボールを斜面でやさしく受けてフェアウェイに戻してくれるホールもあれば、深い深い下ばえに抱え込んで出そうとしないホールもある。
池、バンカー、崖の配置などでプレイヤーに圧力をかけてどうしてもベストではない方向に打たそうとするコースもある。

12345_2

今日もゴルフをしていて人生そのものだと感じる。
今日1日、クラブの上げ方、降ろし方、握り方はもちろんのこと、立ち方、座り方、歩き方、茶屋での注文の仕方、ボール洗い器の使い方まで、すべてわからなくなった。

断ち切ることのできない煩悩が一つ残った。
107点

明日は断ち切ろう・・・・・・

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2007年12月28日 (金)

年齢をとる・・・・

「年をとることはうれしいか」と聞かれたら、素直に「はい」とは答える人は少ないだろう。

年をとる=老いるのような図式がどうしても頭にあるので、自分が年齢を積み重ねているという事実を簡単に認めたくないのだ。
年齢を偽るつもりはないが、現実に対するささやかな抵抗の気持ちから実年齢より若く言ってしまう。

人生には上りの坂と下りの坂がある。

人間はいろいろなことに出会って生きているが、目の前の事実だけに固執して、真実が何であるのかが見えないままに過ごしていることが多い。
過ぎし日を振り返ってみた時、よくここまでやってこれたと、私は今ある幸せをしみじみと噛みしめている。
今後も悔いのないように生きたいと願っている。

引っかかる言い回しがある。
例えば、「年を重ねる」なんていうのがそうだ。 
普通に「年をとる」でいいじゃないか、と思うのだが、たぶん、そういう言い方をしたくないのだろう。 
そのわだかまりがかえって切ない。
「年をとる」という言い方のジジむささ、ババくささが嫌なんだろう。
かといって、今さら「若い」とも言い張れない妥協点。
「年をとる」を「年を重ねる」と言い換える心理は、そんなあたりだろう。
考えてみれば失礼な話で、じゃあ、現実のジジイ、ババアはどうすりゃいいのか。
「年をとる」と年を重ねるいう言い方には、美辞の感覚もないこともないが。
一方で、事実の隠蔽という闇がそこにはある。 

日本では若いということを尊びすぎるきらいがあると思う。
若さというのは、どんなマイナスもプラスに変える魔力を持ったものだが、誇るべjきものではない。若さは往々にして、自分を見つめることを忘れさせる。
今の若さが才能で永遠に持続するような錯覚を抱かせてしまいがちだ。
花に盛りがあり、魚や野菜に旬があるように人間にも華やぐ時もあるがいつまでも長続きするものではない。

若さならではのよさ、というのは、まあ、ある。
しかし、せっかく年とったんだから、年とったなりでいたらどうか、と思うのだ。

ダメになってきた部分、ガタの来た部分は、まあ、多少の修繕は試みるとしても(痛い、苦しいってのはヤなもんだからね)、そういうもんだと受け入れたほうがいいのではないか。

年とったことを認めて、初めて見えるものもある。
最近、ストレッチ、特に肩と背中のあたりのソレが気持ちいいのだ! 若いもんにはわからんだろうが!! 

漱石先生のお言葉である。

メッキを金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である。

修業を重ねよう・・・・

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2007年12月25日 (火)

今年も残り後少し・・・・

今日は約3週間行ってなかったトレーニングに行った。

最近、下腹がポッコリ・・・・・

今日はクリスマス。
妻の手作りのケーキをジムから帰って10センチくらいに切ったものを食べた。
これでは、少しくらいトレーニングしても効果は望めない。

Jtrim

ずっと前からある、うちのシャコバサボテンも少しずつ咲いて一つの鉢はもう終わりシクラメンとピンクのシャコバサボテンが今は盛り。
クリスマスの頃に咲くので、クリスマスカクタスの名前があるが、デンマークで作り出されたものが多いので、デンマークカクタスとも呼ばれるようだ。
サボテンの仲間で、あまり手をかけずとも咲いてくれる丈夫なものだが、半耐寒性ということで、冬は室内で育てなければならない。

11月ころには覆いをしてやるとよく花芽をつける。

庭のプランターには水仙が咲いた。
これは日本水仙と呼ばれるもので、日本原産ではなく、地中海方面の原産で、シルクロードを経て中国から日本に伝わったものだ。

雪中花、金盞銀台(きんさんぎんだい)などと雅びな名前でも呼ばれているもので、正月の活け花としてもよく使われる。

Jtrim_4
正月まで後、1週間。 残りラウンドは2回。

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2007年12月24日 (月)

Merry Christmas~~♪

会社の同僚と苦手な河川敷のコースに挑戦。 
暖かな日差しが降り注ぐいでいるのに、苦手な北風が吹いて・・・・・
ダブルスコアーあり、 トリプルの連続ありでもおにぎりもない気楽なラウンドで、それはそれで楽しい
44(18)+46(17)=90(35) 
OB4発スコアは、今年1年を総括するように、よくもなく悪くもなく・・・・・
今日もショートパットが悪い。
4~50センチをはずすことが多い。
スコアーメイクには絶対に入れなければいけないパットを左にはずす。

上を向ぅいて歩ぅこ~~~ぉぉう、涙がぁこぼれぇないよ~~ぉぉうに

早くラウンドが終わったので年賀状の一言をそれぞれの方を思い出しながら書いた。
書くことについて文言に「来年もよろしく」を入れないことに拘った。
難しい。結果は今年も同じ「今年こそ会おう」「ゴルフに行こう」・・・・・・・

”去年今年貫く棒のようなもの”
「去年今年(こぞ・ことし)貫く棒のようなもの」(高浜虚子)という句を思い出した。
ひと晩過ぎても何が変わるわけではなく、去年のすべてを今年に持ち越しているだけのことなんだが。
どうもこの時期の気ぜわしさからなかなか逃れられない。

折角の世間を騒がしているイブ。サンタさんに登場を願った~♪
Photo_3
ついでにサンタさんにプレゼントのお願いをした。
ゼクシオの新しいドライバー を持って来てください。
飛んで、曲がらない・・・・・ 魔法のようなクラブだ。

 打ち納めは後2回・・・まだ先

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2007年12月22日 (土)

馬券・・・・・

今年も愈愈、残り少なくなってきた。

タンタン、タンタン、タンタンタァー、タンタ・・・・(草競馬のメロディーのつもり)

競馬好きには、一年の総決算といえる有馬記念が、次の日曜日にある。
有馬記念は、人気投票によって、出走馬が決まる。
プロ野球のオールスターと同様に、ファン投票による出走馬の選定という世界で類を見ないものだ。
今年、行なわれたメジャー大会で優秀な成績を残した馬のみに参加資格が与えられる最高峰の大会である。

競走馬の走る姿は美しい!一生懸命、全身を使って躍動する姿は見るものに感動を与える。

アマゴルフの世界に例えるなら12月の最終試合、マンスリーのようなものだ。

今年の1位は3才牝馬の「ウオッカ」。

「ウオッカ」をそののまま(ストレート)で頂いて、ゴール前でも「そののまま」と言いたいものである。

しかし、勝つ馬はもう決まっているような気がする。

メイショウサムソンである。

誰と比べて末脚がどうとか、スピードとか、実績とか、そういうデータではなくて、あの武豊に「勝たなくてはならない」と言わせる自信に一票だ。

ロックドゥカンプも出るし、ポップロックもダイワスカーレットもいる。
それを踏まえて、「勝たなくてはならない」のだから、これはもう信じるしかない。

ウオッカも16枠からの追い上げは無理だろうとういのが大方の予想。

アマチアゴルフでもコンペでは勝馬を予想するスパイスがある。


馬券を予想するとき、

「これは大丈夫!は大丈夫ではなく、これはイラン!はイル」だ。

周りで聞いていて、私を「外せイラン」と評価されたらこれはちょっと寂しい。
そんなときはふて腐れて、「買うな配当が減る」と強がりを言ってみる。

私は本年3戦2勝。
一度はぞろ目。後一度は高配当を当てた。
コンペでは優勝2回。

だいたいゴルフの実力はないが新ペリアには強いようだ。

ハンデ改正:来年1月1日から半年の間、11

ますます厳しい、マンスリーは絶対無理だがクラブ3大競技の資格が得られた。

今年目標達成、万歳

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2007年12月19日 (水)

諸仏諸神諸菩薩を軽んずべからず

私は神とかそういったことが好きである。
とかそういったことには、
「心霊UFO祭事伝説心理学前世民間療法気自然食品学」なども含まれる。
または目に見えないこと、手に触れることのできないもの、常識や決まり文句では表現できないような、命の法則についてと言い換えてもよい。

だいぶ前になるが、ノストラダムの大予言が流行って、1999年に恐怖の大王がやってきてこの世が終わるのだと知った。
1999年時の自分の年齢を計算し50歳を過ぎていることがわかると、50歳以降の人生を想像してほとんど終わりも同然に思え、そんなおじいさんならも~いいかなどと漠然と未来をあきらめたりした。

最近はひとつの家の中に仏壇と神棚が共存していてクリスマスを祝い初詣をし教会で結婚式をあげ、お寺で葬式をする。
近代ヨーロッパから見ればとんでもない未開文明と思っているらしい。

朝日が昇るのを見て拍手を打つ漁師がいても、また、夕日が沈むのを見てクワをおろし合掌をする農夫がいても少しも不思議ではない。

日本人はそういったものに対して常に感謝や畏敬の念というものをもってきた。
むしろ、そういうものを私たちは大事にしていかなければならない。
朝日を拝んだり夕日を拝んだり、巨樹や山や海などに神秘を感じるということを改めて考えてみる。
あらゆるものにものに生命があるということを考え直すことも大切なのではないか。

理屈ではなく「神も仏も」ということがあってもいいと思う。

日本の仏教の中で真宗は阿弥陀如来を一途に信仰して己が正しいと考え他宗を認めていない。
しかし親鸞は「諸仏諸神諸菩薩を軽んずべからず」といっている。
一神教的に阿弥陀如来を信じてもいいが、他に強制したり異端として攻撃してはいけないと他宗派を認め、たくさんの神や仏、菩薩がこの世に存在していることを否定しないどころかむしろ肯定した意見だといえる。

神仏は尊し、神仏に頼らず

キリスト教国家ではない日本でもクリスマスが定番化しキリスト教や欧米の生活習慣が移入されてきた。
敗戦直後の日本など直接知っているわけではないが日本の生活は欧米文化を取り入れ格段に向上した。
反面生活は豊かになったが、人々の心は豊かでなくなった。
よく言われている文句だが、その原因の一つは、仏教や神道の怠慢のせいでもある。
古来日本人は、草木に生命があると考えてきた。
仏教でも、有情だけでなく無情のものも成仏すると説いていた。
そうした考え方が日本人から消えてしまって久しい。
自然や生物に対する畏れや敬いの喪失。
ここ数年発生している犯罪は日本人としての備わっていた資質の欠如としか私には思えない。

何はなくとも精霊や、八百万
の神を身近に感じられるような生き方をしたい。

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2007年12月15日 (土)

見つかったクリスマスツリー

年の瀬の整理をしているとクリスマスツリーが出てきた。
ずっと昔、3男が確か保育園のころ購入したものだ。 
せっかくだからリビングに飾った。Photo

「サンタクロースは本当にいるのか?」という疑問に対する答えを子供は見つけてしまったが、クりスマスはなぜか人の心を幸せ色に包んでくれるような気がする。

良い意味で,子供たちはその存在を信じ,夢を抱いている。
その夢は壊すべきではないし、想像の世界を広げることは大切なことのように思う。
大抵の場合,そっと夜中に寝ている子供たちの枕元にプレゼントを置いてやるのが,子を持つ親の常套手段なのだが・・・・

今日は、寂しくなった庭にパンジーとチューリップ、バラを鉢植えした。

Photo_3 バラも、チューリップも春には咲いてくれるだろう。
パンジーはこれから春までの間、咲いていてくれる。








「恋人のいないクリスマス。」

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2007年12月14日 (金)

猫    パート2

毎日の生活の中で猫派と犬派に区分することができる。

行き付けの店の飲み屋のママが変わってもそれまでと変わらず通い続けるのを猫派。
他方、その店のママが変わったことでもう足を向けないのを犬派と呼ぶらしい。

私は猫と犬ののどちらが好きかと聞かれたら猫と答える。
犬も好きだが、忠実すぎるところが物足りない。
犬はまじめすぎる性格と言えばいいのかな。
勿論、人それぞれそこが気に入る人もいれば、気に入らない人もいて。
私は自分勝手で我儘なところに、猫の魅力を感じるのである。

どうしてねこはパター練習用マットを敷いてパター練習を始めようとすると、マットの上にゴロリ居眠りをするのでしょうか?。
それも、ライン上にどっしりと。
邪魔なので”そこ、どいてくれる?”と言いながら寝たままのねこを別の場所へ移すと、わざわざ起き上がりゆっくりと歩いて来て、またパター練習用マットにゴロリと寝転がってくれます。
それを見て溜息をつき
次の日のラウンド中パーパットを外して溜息をつき・・・・・・・・・。

寒い冬の間はなべ料理が一番。
妻も献立を考える手間を省き最近はいろんな鍋料理をしてくれます。
先日は牡蠣の土手なべ。
しめは、うどん。
味噌味のうどんはおいしかった。
今日はすき焼き

最近流行りのなべ猫のつくり方がのっていました。

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2007年12月12日 (水)

猫の話である

我輩は猫である。
名前はない。
この家の人からは「にゃ~ん」と呼ばれていた。

我輩がこの家に住み着いたのは前の飼い主が生まれたばかりの我輩をおいて引越しをし、行くところをなくしていたところ世話になるようになったものである。

それから17年このうちの三男とともに成長し天寿を全うしたのは、平成15年12月12日雨の日のこと。
Photo_6
かわいい猫だった。
食事のとき膝の上に乗せたところ、夕食の焼き魚に手をだしたことがある。
可愛いとは思っても最初が肝心。躾だから。
そこで、ピシッ。
それを何回かやっているとやがて手を出さなくなった。
欲しいときだけ、恐る恐る”ちょうだい?”と手を合わせて出してくる。
「・・・・・」
その猫と遊んだねこじゃらしを昨日近所の道端に見つけた。

からかったり、遊んだり楽しく過ごした。
寝る時など私の腹の上に上がってきてつめをちくちく、もちもちとさせ寝心地の良いところをまさぐる。

ある日のこと、寝ているとキシッと部屋のきしむ音がした。

ゾクッとして周りを見渡すとなんと彼女が、私にかわって薄暗い天井を見上げているではないか。

あれは天井ではなく、天井と私の間の虚空をにらみつけていて、もし私に危害を加えるものが現れたら敢然と飛び掛ろうとしていた目だ。

そんな可愛くも健気な猫であったが、いよいよ彼女にも死期が近づいた日のこと。

自分でトイレにも行けなくなった。見ているとどんどん体力がなくなり歩くのもふらふら・・・

ダンボールの中に布団を引いて寝かせてやったが、もう箱の中からでることもできないでただぐったりとしている。

そんな彼女が、ある朝、ふと気がつくと私の布団の中に入ってきているではないか。

仕方がないからダンボールの布団のなかに戻したが、ぐったりとした彼女を見てハッとした。

彼女はただフラフラ布団の中に入ってきたのではなかったのだ。
彼女は最期のお別れに、と弱った足腰を奮い起たせて私の布団の中に入ってきてくれたのだ。

その朝、彼女は静かに息を引き取った。

それ以来、生き物は飼わないことにした。

今は、我が家の庭の隅にお墓を建立して時々思い出しては線香を上げている。

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2007年12月11日 (火)

枯野

夏の間、我が者顔に盛んだった雑草達もすっかり枯れ果て、
空き地は冬の草に変わってゆく。
この季節の野の薄は、すっかり穂がほうけて膨らみ、柔らかな感じになる。
枯薄として初冬の野にひと色を添えてくれる。
Photo
芽出しの頃から夏草の頃、
初秋の穂の出るさま、
秋の風になびく穂と、
1年を通じて見どころがある。
ススキは枯れてからも侘しい枯野のさまとして、さまざまに句に歌に詠まれている。

「山は暮れて野は黄昏の薄かな」(蕪村)

Photo_2 岡山ホテルオークラの雑木林の樫の木もコナラも、すっかり葉が落ちて林の奥が見通せる。
林床まで陽射しが射しこみ、冬の雑木林にも明るい静けさが満ちていた。

樹々の根元に散り敷いた落葉は、このまま冬中林床の布団代わりとなり、越冬する虫を守り、根元を被って霜や寒さを防ぐ役割を果たす。
雑木林を散策した。
Photo_4 林床に散り敷いた落葉をかさこそと踏んで歩くと、冬の気分で耳にも心地よい。
かさかさ・・・・と
落ち葉の深さを測ってみたら64ミリあった。
        ・
        ・
        ・
        ・
        ・
        ・
        葉っぱ       64・・・・・・さむ~

Photo_6 道端で、すっかり枯れ果てたエノコログサで戯れてみた。

こうやって眺めると、雑草もまあまあ捨てたものじゃないと、
悦にはいているのは、我輩のみかな。

 華やかなもの、美しいものに目を向けるのは勿論、朽ちてゆくさま、侘しいさまにも目を向けてそこからも風情を感じ取のも、また必要なことではないかという気がする。

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2007年12月 9日 (日)

何事も腹八分・・・・

平成19年12月9日
     陽光うららかな日、グレート岡山GCに久々に挑戦した。

先週のラウンド結果は、45(20) 44(21)=89(41)
スリーパットがトータル 9回。
ラウンド結果は普通……。と書くのもだんだん飽きてくるほど、ずっとこのあたりで足踏み状態が続いている。(足踏みしすぎて地面がカチカチ)
どこのコースに行っても、前からプレーしても、後ろからやっても同じ。
スコアー保存(一定)の法則が証明されている。

今日の結果
40((19)、45(18)=85(37)


とりあえず、ここのところの「右肩上がり」はなんとか阻止したが、今日もスリーパットが3回、2メートルのバーディーパットを外したのが2回。
OB  1回

パットだけ見れば前回9回のスリーパットでトータル
89は、今回の3回と比較すると前回のほうがショットが良かったことになるが?

今日の良かった点、
クロスバンカーからのショットが3回からパーをセーブできた点。
(バンカーツーバンカー、1回)
ガードバンカー2回 (パー)
と、バンカーショットが良かった。
ガードバンカーからはオーバを恐れないでしっかり振りぬいたこと。
クロスバンカーは体重移動をしないで手打ちの感覚でコンパクトに振りぬいたこと。
などによるものと思う。

あのざっくりと、
あのざっくりと、
あのざっくりがなければ、
80台前半だったのにな~。


あるいは、

あのフケ球と、
あのフケ球と、
あのフケ球がなければ……。

あるいは、

あの1メートル50センチはずしたのと、
あの1メートル20センチはずしたのと、
あの90センチをはずしたのがなければ……。

あるいは、……

おかしいなあ。
シュミレーションなら、いつでも80台前半なのに。
Trim

お昼に食べた、「スタミナ定食」
ホルモンと野菜を石の皿で焼いたもの。
熱くて美味。
おいしくて完全喫食。

今日の教訓
「おいしくても腹八分、おなかいっぱいになるまで食べないこと」



後半悪かったのは満腹のせい。

次回に反映させるため今日の開眼に書いておこう。

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2007年12月 8日 (土)

年賀状の季節

毎年、年賀状は12月半ばから始めるが、正月を迎えても賀状の書き終わらないことがる。
今年は比較的早く取り掛かり今日は裏面のデザインを決めた。

毎年、手作りの版画で賀状をくれる人がいて楽しみにしている。
やはり、手作りのものは味わいがある。
残念ながら私にはそういったセンスがないので出来上がりのものを利用するので代わり映えしない。

どういうわけか年賀状は、こちらから出していない人からくることが多く、それらを区分けして新たに宛名書きを入力して送らなければならない。そんなことを繰り返しているうちに、10日くらいはまたたくまに過ぎてしまう。

結局、12月半ばから1月半ばまでは、なんとなく年賀状のことが頭にあるから、この1ヶ月間は「年賀状の季節」といってもいいかも知れない。

年賀状とは少し違うが、12月に入ると急に増えてくるのが、喪中であることを知らせる葉書である。

年をとるとともに、この種の葉書が増えてくるのは、やむをえないとはいえ正直いって、あまり気持ちのいいものではない。

出すほうはもっといやだろうけれど。

喪中葉書を見る度に思うのだが、みな、少し喪中にこだわりすぎるのではないか。

喪には、亡くなった人を追憶し、身を慎む、という意味もあるからあまり出歩かず華やかな行事を控えることはいいことだと思うのだが。

年賀状を控えているのに、忘年会や新年会では大騒ぎをして、カラオケを歌っている人もいるから、喪に服しているといっても信用しかねることがある。

要するに、年賀状を失礼しますといってもすでに形骸化しているのだから、この種のしきたりはそろそろやめたほうがいいかも知れない。

「喪」というのは,先祖崇拝や先祖供養を説いた儒教に基づくもので、神社神道では,実の親が亡くなってから50日を忌服期間としている。(仏教であれば49日間)。
浄土真宗・真宗には「忌」という概念がなく喪に服することも忌服することもないから、喪中葉書も出さないとか。

だからというわけではないが、私は年賀状の欠礼の葉書が来ても賀状を出すことにしている。
悲しみに沈んでいる人に楽しい年賀状を出すのはいささか気が引けるので「おめでとう」の語句だけは控え、新たな年がすばらしいものになることを祈念しますといった挨拶をすることにしている。

という訳だから喪中なのに、もし受け取った方がいたら悪しからずお許しをいただきたい。

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2007年12月 7日 (金)

人間の相性

昨日は会社の忘年会、兼て歓迎会、合わせて送別会。
あっという間に過ぎ去った一年を振り返り、来る年がいい年であることを祈念します。(乾杯)

その場にいない人が酒の肴にされることがある。

人間だから好かれたり嫌われたり、好いたり嫌ったりすることはよくある。

好きな人とは付き合いたいし、嫌いな人とは付き合いたくない。
しかし、付き合いたくはなくてもその人の尊厳を守る礼儀は持たなくてはならない。
多くの人は嫌いな人と礼儀を欠いた関わりを持とうとする。

嫌いな人程気になることがある。

嫌いな人=お付き合いしたくない人=興味の対象から外れた人

なぜか、嫌いなのにその人の言動に興味をもち、けなしたりする。

嫌いな人に興味をもって関わり、悪口を連ねるより、
好きな人とたくさんの興味ある事柄について話をする方が楽しいはずだが。

悪口も楽しいけど・・・・・・・

それだけだと自分に価値がないような気がし後味が悪い。

誰かのことを話題にした後、若干の後ろめたさから誰かがフォローする。

 「いい人なんだけどねえ」

それに応えて、一同は口をそろえる。
 「いい人なんだけどね〜〜」 

                                                                                                                                  
                      
アンチテーゼということか。

誰かの定義、
誰かという存在があって、それを否定する事によって初めて自分の意見、自分が存在する。

ましてやそれが嫌いな人を発端とすることは、自分自身の価値を下げることになる。

自分ひとりで自分の存在を定義出来る人間でいたいな。   

いつまでも成長しない自分を反省しながら・・・・

君はこの先 何度も転ぶ
   でもその度に立ち上がる強さも
 君は持っているんだよ

去ってゆく人の幸多かれと祈る。

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2007年12月 2日 (日)

ラウンド結果(寂寥との闘い)

12月2日、岡山国際GC(6890ヤード パー72) 
今年最後の月例競技会。

さすがに12月ともなると寒い。
枝先にわずかの紅葉を残し寂寥たる冬景色が広がっている。

Photo

ちょっと前から、不安感とも寂寥感とも焦燥感とも孤独感とも絶望感ともちょっと違うなんか特大のモヤモヤが心に居座っていた。

このモヤモヤは、例えて言うならば激しい恋のような。
2_2

スタートホール 370ヤード
ティーショットがセンターを捉え残り120ヤード。9番アイアンがハーフトップで止まらず、ピン奥5メートルのくだりのフックライン。タッチはよかったが2mオーバーでスリーパット。
思えば前回も同じ。(緊張のスタートホールドラのショットが生かせない)

11番 381ヤード(打ち下ろし)大きくフックし残り150ヤード。
ピン横4メートル大きくショートでこれまたスリーパット。

12番 536ヤードのロング(HD2) 前回はパーを拾っている。
(フック、引っ掛けでOB、ダボ)
13番177ヤードパースリー
4番アイアンがフックしたがピン横3メートルにオン。
スリーパットのボギー

後半は風も出てきてさらに厳しい条件を強いられる。

パットが最悪 スリーパットがトータル 9回
OB、3回

トータル 45(20) 44(21)

ラウンド終了後、クラブハウスを後にしたときには、
陽が落ちかけていた。
枝葉を震わせて風が抜けると、もう恐ろしいまでに、わびしさが募る。
わずかに西日が斜面を照らし、枯れた落ち葉が明るく輝けば、いくらか生気を取り戻すこともできるが。
しかし、陽も西山に落ちて山肌が宵闇に包まれ始めると、何だか気温も急に下がり、いよいよ寂しさがます。

吹き抜けていく風が、冷たく頬を刺す。
風はますます私の心をいたぶる。
2_3

身はたとえ武蔵野の野辺に朽ちぬとも、留めおかまし大和魂

吉田松陰の辞世の句である。

「大和魂」とは、美しいものを見て、美しいと思う清らかな心をいう。
美しいものを「守りたい」と思う純粋な心だ。
それが「大和魂」だ。

どんなにスコアーを崩そうが・・・・・・・
大和魂を忘れることはない・・・・・・・・
益荒男の道は険しいものなのだ?(ト、ホ、ホ、ホ・・・・)

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