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2007年11月

2007年11月28日 (水)

年賀状(喪中はがき)

今週末にはもう師走に入ります。
皆さん年賀状の準備は終わりましたでしょうか。
私は今日は昨年いただいた年賀状を読み直し、お世話になった人を思い出しながら年賀状の準備を始めました。
同時に喪中はがきをいただいた人に誤って年賀状を差し出さないようにデーターを入力しました。

今年の喪中はがきの特徴はなんといっても過って一緒に益荒男の道を歩んだ人がなくなったことを知らせるものでした。

中にはほんの数ヶ月前にゴルフに行こうと約束をした方もおられます。
心からご冥福を祈ると同時に約束が果たせなかった後悔で寂しさもひとしおです。

訃報に接し同じ道を歩んだ同僚のことを考えていたら、大木惇夫の詩を思い出しました。

戦友別杯の歌 (大木 惇夫)

 云うなかれ、君を別れを、世の常を、生き死にを
 海原のはるけき果てに、今やはたなにをか云わん
 熱き血を捧ぐる者の、大いなる胸を叩けよ
 満月を杯にくだきて、暫し、ただ酔いて勢えよ
 わが征はバタビヤの街、君はバンドンをつけ
 この夕べ、相離るとも、かがやかし南十字を
 いつの夜かまた供にせん
 云うなかれ、君を、わかれを
 見よ、空と水うつところ、黙々と雲は行き、雲は行けるを

新年は、死んだ人をしのぶためにある
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、
でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?

人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、
きょうはきのうに、きのうはあすになる、
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、
でなければ、どうしてこの一年を生きていける?

昨年の喪中はがきの所感

すこししんみりとした内容になりました。

明日は喪中について思うを題材にして書いてみようと思います。

その起案は明日もまた暇な勤務時間中に・・・・・・

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2007年11月27日 (火)

スコアー一定の法則

先週に引き続いて今週のラウンドも100をオーバーしてしまった。

その原因はドライバーの飛距離。

平均飛距離230ヤードの私にはバックティーからはセカンドが厳しい。
スコアーメイクにはドライバーの出来が不可欠の要因となる。

それでもドライバーがまるでダメだと思ったら、意外とアイアンやパターがよかったりして寄せワンが連発する日があります。
逆にドライバーが絶好調で毎回フェアウェーを捉えていても、アイアンはダフってばかりで、まったくグリーンに乗らない日もあるものです。
つまり、全部のショットがダメな日はない代わりに、あるクラブの調子がいいと、他の何かが悪いため、結局毎回ほぼ同じスコアに収束するという法則が成立することになります。
すなわち、ゴルフにおいては、すべてのクラブのレベルが上がらない限り、良い結果は生まれないということを示しております。

先週も今週もそうでしたが、ドライバーが最高のあたりでフェアーウェーイを捉えてもアイアンが悪ければスコアーにつながりません。

そして、アプローチ&パットが悪ければそれまでのショットも水の泡となります。

個々のホール結果は割愛します。(そんなときに限ってビッグイニングをつくってしまっています)

ティーショット、セカンドショットがナイスショットで550ヤードの打ち上げのロングがサードが残り50ヤード位になったホールでアプローチをトップさせ奥のバンカー。ショックからサンドに変えるのが面倒でAWでバンカーショットをしたところバンカーからだすのにサンド(三度)かかりパットがスリーパットで9点というホールがありました。

悪いときにはそういったホールが2~3個つくってしまいます。
まさにビッグイニングです。

その逆もあります

距離420ヤードの上りその上アゲンストの風が吹いていました。

ドライバーをバンカーに入れ残り250ヤードの上りあごも高くロングアイアンは使えない状況です。

6番アイアンでレイアップしサードが約100ヤード。
ピン横2メートルにオン。スライスラインがまぐれでワンパットでパー。

同じようなところから後一人もワンパット。
もう一人の人が3~4メートルをツーパット。

唯一パーオンのシングルさんは5メートルからスリーパット。

そのホールは村長さんをしていました。
このところ4期連続当選の私がいきなりのワンパットで残りの人にプレッシャーを与えます。

やはりパット保存の法則は成り立つものなのです。

同じ組で回っている4人のうちだれか1人がロングパットを入れると、それより近い距離にある残り3人のパットはやや入りづらくなります。
3人とも1パットで入れてしまった場合には、残りの1人が1パットで沈める確率は限りなくゼロに近くなります。たとえそれが1メートルの至近距離であろうと同じことです。
この法則は、同じ組の4人が同一ホールで打つパット数の合計は常に一定であるという昔からの経験則です。
通常は2パット×4人=8パットです。

逆に言うと、同伴競技者が3パットを続けた場合には、自分が1パットで入る確率はかなり高くなります。

この原因は「あいつが遠くから入れたんだから、それより近い距離にある自分は絶対に入れないとみっともない」という見栄のせいだとも言われています。

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2007年11月25日 (日)

小春日和の1日

秋なのに春みたいに暖かいですね。
秋の暖かい日を小春日和というそうです。今日も春みたいに暖かい一日でした。

寒い冬の、ほっと一休みするような穏やかな日。
小春日和はそういう日の呼び名とばかり思っていたのですが、11月いっぱいで後は使ってはいけないそうです。
「小春」は旧暦10月の異名で、初冬にしか使えないのですね。

穏やかな三連休の最後の日、先週に続き県西部でラウンドしました。
まだ明けきらない朝6時30分家を出発、月に向かって約50キロ。
昨日は満月でした。
まだ凍てつくような寒さとはいえませんが、澄んだ朝方の空に綺麗な月が出ていました。
どこまで走っても月の位置は変わりません。
Photo_8 月と地球の距離は約36万キロあるそうです。
日々見上げる月の輝きには言葉に表わせない魅力を感じます。
人類が初めて月に降り立って30年にもなろうとしていますが、どのようにして地球の衛星として月が出来たのでしょうか。
諸説があり、その捕らえかたは人それぞれとも言えますが、地球上の生命の誕生を語る上に於いても月の存在は否定できないようです
月の誕生は46億年前といわれています。
人間の生命なんか月と比べるとほんの一瞬のできごとでしかありません。
それだけに大切にしなければならないものなのかも知れません。

ゴルフのスコアーなんかに拘らないで大いに楽しみたいと思います。

来週は師走。12月に入れば何かと忙しいので今月中には、年賀状を書き終わらせ、ゆったりとした気分で新年を迎えたたいと思います。

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2007年11月23日 (金)

山茶花

会社の垣根の山茶花の花が咲き始めた。
花の少ない晩秋から初冬に掛けて咲き出し、寂しくなった庭が、この花が咲いていると急にパッと明るくなる。
花の色は、赤、白、ピンクがあり花弁が一枚づつ散る。

山茶花の花はツバキの花と似ている。
同じように寒い時期に咲くこともあって両者は混同されがちだが違う種類のものだ。
椿の花も同じツバキ科だが散り方に違いがある。
椿は花全体が一輪その形のままに散る。
首から落ちるということから縁起が悪いと庭木には忌み嫌われているようだ。Photo_2
Photo_3
サザンカの花言葉は「困難に打ち勝つひたむきさ」とか「謙譲」。

「椿」よりも一足早く咲き始める「山茶花」。

以前は「山茶花」は、何だか地味な花のような印象を持っていたが、最近、「綺麗な花だなぁ~!」と、感じるようになった。
八重咲きの「山茶花」は、どこか薔薇を思わせるような華やかさがある。

驚いたことには、「山茶花」と一言にいっても、日本で300種もの種類があるという。
私の中では、「白い山茶花」「ピンクの山茶花」「八重咲きの山茶花」という程度の分類しかなかったのに…

「晩秋」と呼ばれる季節の中で、様々な種類の「山茶花」に巡り会えたら…と考えると、これもまた大きな楽しみになってくる。

「山茶花山茶花咲いた道~♪焚き火だ焚き火だ落ち葉焚き~♪」

寒い日の学校の行き帰りに大人が焚く、焚き火
   その温もりが懐かしい。

一筋の白い煙、落ち葉の匂い。
茶色の落ち葉がカサコソと小さな炎をあげている。

初冬の寒さも忘れて落ち葉を焚く。
あの心の弾みはなんであったのだろう。

火もぬくい。
心もぬくい、移り行く季節を愛おしむ心があった。

懐かしい童謡を口ずさみながら、深まりゆく秋を沢山感じたいものだ。

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2007年11月22日 (木)

岡山西GCラウンド結果

木枯らし1番が発表された日、初めて岡山西ゴルフクラブでラウンドした。
狭いと評判のコースでラウンド前からネガティブな気持ちは最初からコースに負けていた。
前日までの開眼も閉眼したまま一度も眼をあけることはなかった。

そもそも開眼などしていなかったといったほうが正しいのかも知れない。

インコースからスタート。
10番 左ドッグ、左はOB、引っ掛けに注意しなければならない。
右サイドを狙ったショットは芯で捉えたがプッシュアウトでいきなりOB.
(このショットが今日一日のラウンドをネガティブなものにしたような気がする)
しかし、プレフォーからのショットが1mにつきラッキーなボギーであがれた。

11番距離のないミドル320ヤード
セカンド90ヤードを50センチでまぐれのバーディー

12番ショート168ヤード、左右にバンカー左は即OB、右は土手がありそこに行けばオンの可能性もある。読みどおり右に出たボールは右のラフ。
寄せ1mをはずし残念のボギー

13番 405ヤードのミドル。
ティーショットはセンターを捉えたが残り距離が180ヤード。
4番アイアンがカラー。寄せればパーが取れる。

大きくショートして3mのボギーパットが今度はオーバー1m。
返しも同じくらいオーバーして、お先を2度はずし5パット。

(グリーンが乾燥と芝がうすいことからか速い、これまでに経験したことがないくらい、その上風で体が揺れる、アドレスするとボールが動きそうになるのでそれまでに打たなければならない)などでパットに集中力を欠く原因になった。

14番ロング、やや右ドッグ。スライスでOB。
もっと左を狙っていれば良いショットだったのに。(レバー、肉ではない)

プレフォー220ヤード4番W。右ラフ、寄らずで2パットのダボ。

15番196ヤード池越えのショート。
左OB、と池は避けたい方向性を重視して4番アイアン。
ここでも右にはずし、1.5mから2パットでボギー(悔しい、パーを取れる寄せを確かなものしたい)

午後からもショートが196ヤード、190ヤードと比較的距離があったがすべて方向性と止まりにくいことを考え4番アイアンを使用。
止まりにくかった。グリーン手前に落ちたボールが奥まで転がる。
ショットがパターにつながらず、パーなしのすべてボギーにしたが、この日、ゴルフらしかったのはショートだけ。

ということで午後からのホールバイホールもいつものようにその時のメンタルと結果について記載してゆこう。

病名
 アルツハイマー病の私がラウンドしてからもはや4日もたち思い出すことができない。
 

物の名前が出てこないこともある。固有名詞、特に人名が出てこないのはしょっちゅうだけれども、「あれ、あの、ほら、ああするものって何だっけ?」となることも、最近、あったような気がするのだが、どうやら、忘れてしまった。

 置き忘れはあまりしないが、しまい忘れは多い。

 というか、「しまう」というコンセプトを幼稚園の砂場に忘れてきてしまったので、いつも部屋は散らかっている。ズボンのチャックはしょっちゅう開いている。さすがに中味までしまい忘れることはないが(というか、しまい忘れても、誰も気にならない程度の……ンムムム)。

慣れているところで道に迷うことはない。これだけが、救いか。

 調べてみると、40代から発症する人もいるらしい。私はすでに60。
忘れることもいたし方がないというところか。

 まあ、こう書いてみると、アルツハイマー病というより、ただのゆるい男、という方が正解のようだけれども……。

そこで、爾後の反省を踏まえてスコアーのみ

1H ダボ(2)
2H トリ(3)
3H ボギー(2)
4H ダボ(2) OB
5H ボギ(1)
6H トリ(2) OB
7H ボギー(2)
8H ダボ (3)
9H ダボ (3)

10H ボギー(1) OB
11H バディー(1)
12H ボギー(2) 
13H 8(5)
14H トリ(2) OB
15H ボギー(2)
16H トリ(3) OB
17H ボギー(1)
18H ボギー(1)  

開眼をコースで実践するためにはそれをしっかり身につけること。
それまでは着眼を意識して注意してアドレスすること。

などに注意して開眼を生かしたい。

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2007年11月18日 (日)

木枯らし

11月18日気象庁は木枯らし1号を発表した。
木枯らしとは、晩秋から初冬にかけて吹く冷たい北よりの強風のことで、木を吹き枯らすということからきた呼び名だそうだ。
木枯らし1号は、立冬とだいたい同じ頃に吹くことが多いというのは面白い。
まさに冬の使者!

ちなみに、凩(こがらし)という字は日本で作られた漢字で、風の省略形と「木」の二文字を結合して、それらの意味をあわせた会意文字と言われるもの。なんだか安易すぎる気がするけど、この漢字、なんとなく愛着が沸く。

こんな冬将軍の到来を感じるような1日、ラウンドした。

今日の日のために先週はジムと練習場で調整をしてきた。
その成果を確認するラウンドであったが・・・・・・

ピンフラッグを揺らし風の音がぴゅーぴゅーと聞こえる。
パターをしようとアドレスしたら、小さな体の私は体がぶれるほど。
時折風でボールが動くようなこともあった。
動きそうなときはアドレスを中止しなければペナルティーが科せられる。

グリーンも乾き止りにくい、先週の鬼の城GCのような速いグリーンにパットが全く合わない。

4番ホール終了ではそれまでバーディーもあり、ワンオーバーと手ごたえを感じていたのだが5番ホールでカラーから5パット。
長い今日の1日はここから始まった。

木枯らし  が吹きすさぶなか。気持ちはこの曲のよう・・・・
続く・・・・・

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2007年11月17日 (土)

休日の朝

11月も半ばになり最近急に寒くなりました。
土曜日の朝、いつもはゴルフか遅くまで寝ているのですが今日は久しぶりに近所の河原を散歩しました。
こちらでは朝冷たい風が少し吹きましたがすぐやんで日中は暖かいいい天気でした。
河原の土手の散歩道では多くの人がジョギングしたり犬の散歩をさせていました。

ゲートボール場ではおばあさんが一人で練習をしていました。
50ヤードくらいをきちんと芯で捉え、半径2メートルくらいに寄せていました。Photo_11
最近の冷え込みで春には花を、夏には木陰を、初秋には紅葉を小鳥には熟した赤い実をと、いっぱいの楽しみを与えてくれた桜も、ハナミズキの木も今は葉を落とし冬の準備をしています。

Photo_12
堤防では暖かい陽だまりにタンポポが咲いていました。
タンポポは寒さに強い花なんですね。
踏まれても踏まれてもまた芽を出し黄色い花を咲かせます。
こんな小さな花からも人生を教えられてしまいます。
Photo_13
(上から、何か知らないが可憐な、吾亦紅、タンポポ、これも解りません)
名も知らない花ですが野に咲く花を見ていると心が安らぎます。
その草むらをよく見てみると、無数にある草の葉や茎や花の一つ一つに朝の露が降りて光り輝いています。もっと目を凝らしてその露の一粒一粒を見てみると、そこには光り輝く緑や山や草や空がひっくり返って見えます。
無数にあるその露すべてにそれが映っているのです。
光の粒の中に私もありみんなもあり世界もあり宇宙もあり、こんなに小さな光の粒にありとあらゆるすべてが入ってしまうなんて不思議です。
何だか勿体ないような気持ちになりますね。
 
北原白秋という詩人がいます。

「勿体なや、何を見てもよ、日のしづく、日の光、日の涙」
きっと、朝のこんな景色を見た時に、歌が生まれたのかも知れません。

人間はどうして、自然に感動するのでしょうね。
 私がまだ子供だったころ、ある和尚さんがこんなお話をして下さいました。
「君の命も、雨の一粒も、春になると木が新しく柔らかい芽を出すことも、空が夕焼けで真っ赤に染まることもみんな一つの『いのち』の現れなんだよ」。
 私はこのお話を聞いたとき、そうかぁ、葉っぱの一枚一枚も空の無数の星も道端の雑草も私も、「いのち」というもので繋がっているんだなぁと思い、とても嬉しくなりました。
私たちはありとあらゆるものと別々に生きているのではなくて、繋がって生きている。
お互いに生かし生かされているからこそ、自然に感動し自然と一つになれるのでしょうね。
 
明日はラウンドです。今週は明日のために練習と、筋肉トレーニングで調整してきました。

きっと、満足のゆくスコアーがでるでしょう。

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2007年11月12日 (月)

実家の灯り 2

昔の人の言葉には、思わず胸を打たれる表現が多い。

「忘れねば思い出さず候」

などというのもそんな言葉のひとつである。

思い出す、などというのは、ふだんは忘れているからである。
自分の思いはそんな浅いものではない、と言っているのだ。
いつも四六時中、昼も夜も、ずっとあなたのことばかり考え続けている、だから、ふと思い出すなんて、そんな気楽な恋ではない、と、言い切るのである。

言われてみれば、これまでの自分も、ずっとそうだった、と納得がいく。

私はこの19年間、いつも母親のことを忘れよう、忘れよう、とつとめてきた。
母の記憶を消去するように、いろんな心のキーを操作して消し去ろう努力したりもした。

一方で、母親のことを片時も忘れてはいけない。
忘れるこは、なくなった母に対する愛情のなさだと自分を叱責したりしながら。

なんとなく思い出すときがある。というのは、考えようによっては気楽なことである。
それは普段忘れているときのほうが多いということだからだ。
また、しょちゅう思い出しては心が痛むというのでも、まだいい。
時には忘れられている幸せな時間があるではないか。

私はこの19年間、一日も母のことを忘れることがなかった。
どんなに楽しく、どんなに興奮した瞬間でも、母の顔を思い浮かべてきた。

死を前にして、母の言った言葉は今でも鮮明に記憶している。

「ありがとう、さようなら」

以来、墓前、仏前で聞こえる声は

「いいのよ」

母はすべてを許してくれているように思う。
母が確かにそう言っている声を聞いたような気がした。

命日に墓前で手を合わせて目を閉じていると、
「自分の運命をあるがままに大事に両手でだきとめたい」とようやく思い始めている。

                                   合掌

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2007年11月10日 (土)

バレーボールを見ていて

バレーボールのワールドカップを見ていて思ったのだが、というか、前から不思議に感じていたのだが、全日本女子、点を決める度にそこらへん走り回りすぎじゃないだろうか。
 なんだか、洗濯機の水流の渦を見ているような気になる。無駄なエネルギーを消費しているような気がして、しょうがない。
まあ、うれしくて走り回りたくなるのは、わからぬでもない。体と気分をほぐす効果もあるだろう。
それにしても、あんなに走り回っていてはスタミナが切れそうな気がするのだが。

他のチームも、点を決めるとハイタッチしたり、声をかけあったり、手を叩いたりはする。
しかし、あんなにぐるぐる走り回るチームはあまりないように思う。
 全日本女子の伝統なのだろうか。

 サッカーでも、点を決めた選手が走り回ることが多い。他の選手がその後を追いかけて、鬼ごっこみたいな状態になることもある。
 これらは、「球技における犬現象」として、心理学方面の研究対象になるかもしれない。

野球では、打点をあげた選手が走り回るということはない。
走者一掃の二塁打を打ったからといって、そこらへんを走り回っていては、すぐにタッチアウトになってしまう。
そのかわり、野球ではサヨナラの後で、打者がチーム全員に叩かれる。
時には蹴りを入れるやつもいたりして、事情を知らない人が見たら、集団暴行シーンと勘違いするのではないか。

まあ、犬現象にしろ、集団暴行現象にしろ、チームスポーツだからこそサマになる。

ゴルフでバーディを決めた選手が、いきなりそこらへんを走り回り始めたら、ただの馬鹿である。
 
 
それにしても、日本女子のイタリア戦。
どうしようもない、4連敗。これでオリンピックへの道は絶たれた。

もう一つ、サポーターにジャニーズ系の訳のわからないのが応援しているのもどうにかならぬかと思う。
開会式の君が代唱和、国家も解らないような歌手が適当にアレンジして国歌をなんと心得ているのか?

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2007年11月 9日 (金)

夕焼け

陽が短くなった、帰宅中の17時18分頃の我が家の近くで、最近はあまり見ることのできない夕焼に出会った。

夕焼けの美しい秋の空
雲もうっすりロマン色に
羊雲が飛ぶような・・・・・
淡くて、赤とんぼも呼ばず、赤でもない。茜色
懐かしい昔からの色の呼び名の
茜、萌黄、浅葱、茄子紺、鉄色

辞書を見ると、浅葱は葱の萌え出る色。
茜色は茜草からとれる茜。
懐かしい、呼び名の多くは、自然の植物からそのままいただいた名だった。

たくさんの種類の微妙な色、自然の中にあるそれらの色や、色の変化を、日本人はずっとずっと昔から日本の色として見てきたはず。

都会に住んでいると、当たり前であるはずの自然な色が眩しく見える。
感性の違いがそうさせるのだろう!

Photo_2
(下に見えるのはいつも利用しているゴルフ練習場のネット。)

同じ日の朝、7時頃の桃太郎アリーナ。まだ、少し薄暗さが残る。
合成写真で紅葉しているのが解らないが、紅葉したケヤキの木の間から青空が見える。

Photo_3

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2007年11月 6日 (火)

灯火親しむ候

秋もだんだん深まり、いい季節になった
後楽園外延の桜も葉を落とし道路には葉が舞い、厳しい冬の到来の準備をしているかのようだ。

灯火親しむころ、とはよくぞ言ったものと、あかりが恋しくなる秋になるとしみじみ思う。
ほんの少し前、今日もまた真夏日というlころには、電燈のあかりさえ暑苦しかった。
風が立ちそめ、夕暮れの早まりを感じるようになるころから、不思議にあかりが恋しくなる。
人恋しさは秋にまさるというけど、あかりもまた、懐かしくなってくる。
童謡、唱歌には季節の風物を唄ったものが多い。唱歌の中で秋を唄ったものの代表が「紅葉」だとするならば、それと双壁をなす秋の童謡が「里の秋」。
その他にも「赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」など秋を唄った童謡・唱歌があるけれどこの「里の秋」には独特の存在感がある。

この歌に3番4番があることはあまり知られていない。

3番
♪ きれいな きれいな ヤシの島
   しっかり護(まも)って くださいと
   ああ 父さんの ご武運を
   今夜もひとりで 祈ります

4番
♪ 大きく 大きく なったなら
   兵隊さんだよ うれしいな
   ねえ 母さんよ 僕だって
   必ず お国を 護(まも)ります

その当時
戦争がいけない、あやまちだなんていう、簡単なことを誰も考えなかった。
考えてはいけなかった時代であったのだ。

ゆうやけこやけのあかとんぼ
おわれてみたのはいつのひか

おわれてとは?

おわれたのは、ねーや、それともかあさん?

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2007年11月 3日 (土)

鬼の城の暗い空・・・・

11月3日、
どこまでも青く澄みわたった青空の下、古代吉備の中心地であった総社平野の丘陵地にある「鬼の城GC」でラウンドした。
ホームコースと隣接する名門コースである。
9日からはシニアプロの開催が予定され、まだ完全ではないが、硬く早いグリーンに調整中で私には少し難しくなっていた。
「鬼の城GC」
Photo_2

GCを見下ろす古代山城「鬼の城」
Photo_3
「鬼の城」は吉備高原の南端にあり、標高約400メートルの鬼城 山に築かれている。日本書記には大和政権(661年頃)が唐、新羅の進行に備えるため16の朝鮮式山城を築いた。
そのうちのひとつとされている。

結果のみ、前半49/後半40 トータル89。やや不満足も実力、由に仕方なし。

今まで聞き流していた歌のことが妙に気になることがある。
「カリフォルニアの青い空」

カリフォルニアに行けばテレビや映画に出られると聞いて、飛行機に乗った。
しかし、仕事にあぶれ、頭がおかしくなってきて、自尊心も失い、愛されもせず、食べる物にすら困っている。

南カリフォルニアでは雨が降らないらしい。
でも、本当は土砂降りの雨が降る。
故郷に帰ったら、僕は今、いろんな仕事のオファーがあってどれにしようか迷っているところだと、伝えてほしい。
僕がどんなふうにしていたか、本当のことは伝えないでほしい

わかりやすいメロディとも相まって、“やさしさ”あふれる、中にどこかほろ苦い歌詞が私の応援歌になっている。

平易な言葉づかいで、特別なことを言っているわけでもない。
甘い夢と、挫折してどうにもならない状態を、カリフォルニアは明るいというイメージと絡めて、歌っている。

職を失ったり、自分の甘い見通しから挫折や幻滅、切羽詰まった心理を味わったことのある人には、大なり小なり共感できる歌なのではなかろうか。



どこまでも青く澄みわたった青空の情景を思い浮かべ今、「鬼の城の暗い空」という演歌を書いております。




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2007年11月 2日 (金)

草紅葉

秋は紅葉の季節。
紅葉狩りの季節はもうすぐそこ。

全山紅葉の壮観も圧倒的に美しいが、山から紅葉の便りが届く頃,平地では、草の葉が少しずつ色を変え始める。  

      …「草紅葉」

草紅葉という言葉をはじめ耳にしたときなぜか愛着を感じた。
身近な田畑の畦の草が、ある日、一面に秋の色に染まる。

小さな自然の紅葉。
秋の透明な陽が燦燦とあたって、名も知らぬ葉の先までほのかに、あるいは鮮やかに染まる秋の色。

 あんまり目立たないけど・・・・・・・身近な野草にも草紅葉が見られる。
そんな、小さな秋を探しに天気の良い秋の日の昼下がり倉敷、総社を探索した。

五重塔前の田んぼあぜ道の野草と野花の紅葉
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