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2007年10月 2日 (火)

夜道を照らす月の光

月の光に、長い影法師が律儀についてくる。「ほら、踏んだ、ほら」と、小さな子供はちょっと踏むだけで、夢中になって逃げ回る。不思議なほど夢中になれる、小さいころの大きな時間。

子供のころ親がしてくれた影ふみを、子供にしてあげ孫にもと、自らなる伝承の、ふと思えば、影踏みは秋が似合うと思っている。月明かりが窓を照らし障子に映る翳りは桟の黒さと障子の白さに味わいがある。

月には、夜道をどこまでも着いてくる影に怯えながらも足元を照らしてくれる月明かりに勇気つけられた思い出がる。

祖父から買い物を言いつけられ暗い夜道にひたひたと追いかけてくる自分の足音に怯えどきどきしながら家路を急いでいるとき、雲間から急に月の光が鮮やかにあたりを照らした。すると、道の先が照らされ向こうの方に自分の行くべき我が家が見え急に不安が取り除かれた。自分分が今歩いている道がはっきりと見える。通る道も変わらず、歩く距離も変わりないのに足元が見えると見えないでは全然違うものだ。

暗闇の中にいると自分の頼りなさをいやというほど知らされる、とともにこれまでの傲慢さを改めて反省させられる。昔の人がさまざまなものを信じて祈り、自然に謙虚であったのはこの真っ暗闇を知っているからに違いない。

人間は暗闇の中では、好むと好まざるにかかわらず自分を見つめなおす機会を与えられ暗闇は実際にはただの闇に過ぎないがその暗さの中でさまざまな思いや想像の羽を広がさせる魔力があるようだ。

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