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2007年7月 2日 (月)

自販機が疎外

「疎外」という言葉がある。左翼系の人が割と使うようだ。「人間疎外」と言えば、よくは知らないが、資本だの、企業だの、機械だのばかりが重視されて、個人個人が主体的に行動しにくいことを指すのだと思う。
こんなことを言うと随分小難しく聞こえるけれど、日常的に疎外を体験することはある。
自販機というのは、しばしば疎外する機械だ。
私が利用しているゴルフ練習場では球貸し機に1000円札を投入するとボールが出て来るシステムになっている。
この自動貸し機が時々お札の受け入れを拒否するのだ。
今日も拒否された。
お札を入れるとやたらと疎外する。
スーッといったん引き込み、またスーッと戻してくる。
この疎外感は缶コーヒなどの自販機にくらべ、ショックは随分大きい。
裏返しても、伸ばしてみてもダメ。
後ろに人が並んでいると、焦る。自分が大変悪いことをしているような気になる。
僕など、気が小さいので、つい別の機械の列に並び直してしまうほどだ。で、こっそり見ていると、僕の次の人が入れたお札は、何の問題もなく受け入れられている。
自販機は権力なのではないかと思う。彼(か彼女か知らないが)に拒否されれば、それまで。
抗いようがない。
別の機械に行くしかないのである。そして、次に並んでいた人がすぐに認められたりする。
あの、自分が入れたお札が拒否される瞬間というのは、何とも無力感ただよう時間だ。
いかに自分がダメな人間か思い知らされる気がする。
ところが、財布から別のお札を入れると、受け入れられることもある。
拒否されたお札を見てみるが、普通のお札だ。
贋金には見えない。「こいつの何がいかんのだ!?」と思うのだが、自販機は黙して語らず。
「まあ、いいか」と気がついたらカゴを受けるの忘れていて外にバラバラ。
慌ててカゴを受け散らばっているボールを拾う。
何か、泥棒でもしているような気分になる。

「疎外」を感じたとき、おおむね、ふたつの反応があると思う。
戦う人と、溜息をつく人だ。
戦う人は、ガンガン自販機を叩く。何とか状況を打破しようとするのだ。権力が自分を拒否する以上、断固として戦わなければならない、とこの人達は考える。正義は自分の方にあり、機械は体制側の所有物だからだ。
一方の溜息をつく人は、つい内向してしまいがちだ。
「おれはやっぱりダメだなあ」と、それまでに何十回と繰り返してきた思いに囚われる。
「後ろの人に迷惑をかけているし」。
ついでに、「子どもの頃、ピアノを習ってさえいたらなあ」などと、全然関係ないことを思ったりもする。
疎外された状況を受け入れてしまうのだ。

ホント、ピアノを習っておけばよかったと思います。

先週のラウンドの反省を踏まえ、月例競技をキャンセルしてまで練習に取り組んでいるのに?
こういう感じを、「オー マイ ゴット」と嘆くのだろうか!

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